2017年 08月 04日
PPK
ピンピンコロリ、略してPPK、このように終わりたい、これはみんなの願いだと思う。
それを実践したような方、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生亡くなりました。
日本で初めて人間ドック、生活習慣病を進めた方でした。
7月18日、105歳でした。
最後は自宅療養を選んだそうです。
主治医が、経管栄養治療が必要ということだったそうですが、
延命治療を拒否して、自宅では、とろみのある食事や水を口にしていたそうです。
そして、14日に言葉を発することが困難になったそうです。
とここまでは、サイトからの受け売りです。
以前のブログで書きましたが、日野原先生とはお会いしています。
フィラデルフィアに、新老人の会の皆さんといらした時にお手伝いしました。
気さくな方で、ハキハキと話されていました。
たしかあの時は、93歳くらいだったと思います。
私たちが用意した食事を食べられました。少食だったことを覚えています。
少し首をかしげ、私の目をしっかり捉えて話してくれました。
意味のある教示を頂いた忘れられない、出会いでした。
日野原先生とお会いした時のことを3回に分けて書いてあります。
時間があったら覗いてみてください。
1 元気の素は
2 袖振り合うも他生の縁
3 逢うは別れの始め
それを実践したような方、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生亡くなりました。
日本で初めて人間ドック、生活習慣病を進めた方でした。
7月18日、105歳でした。
最後は自宅療養を選んだそうです。
主治医が、経管栄養治療が必要ということだったそうですが、
延命治療を拒否して、自宅では、とろみのある食事や水を口にしていたそうです。
そして、14日に言葉を発することが困難になったそうです。
とここまでは、サイトからの受け売りです。
以前のブログで書きましたが、日野原先生とはお会いしています。
フィラデルフィアに、新老人の会の皆さんといらした時にお手伝いしました。
気さくな方で、ハキハキと話されていました。
たしかあの時は、93歳くらいだったと思います。
私たちが用意した食事を食べられました。少食だったことを覚えています。
少し首をかしげ、私の目をしっかり捉えて話してくれました。
意味のある教示を頂いた忘れられない、出会いでした。
日野原先生とお会いした時のことを3回に分けて書いてあります。
時間があったら覗いてみてください。
1 元気の素は
2 袖振り合うも他生の縁
3 逢うは別れの始め
by orientexp
| 2017-08-04 12:50
| 井戸端会話
|
Comments(2)