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カテゴリ:本( 9 )

晩秋の趣

朝夕はめっきり寒くなってきた。

明けても暮れても、武田百合子の本を読んでいた。

「富士日記」 上中下は、一週間で読み終わった。

一冊が 約500ページ近いので、1500ページを7日間。

記録だ。


その後、「犬が星見た」ロシア旅行、

そして今は、「日日雑記」を読んでいる。

これは、娘の花が成人してからの共同生活が書かれている。

面白い、この母にして、この娘でユニークな親子である。


武田泰淳が亡くなってからは、あまり富士山荘にも行かず、

ネットで調べたら、老朽がひどく手放したか、解体したらしい。

「日日雑記」は、東京の生活が書かれている。

百合子の個性豊かな表現が面白くて、

読みながら大声あげて笑っている。

世間の常識とはかけ離れた発想で、

(う〜ん、こんな表現があるのか)

と感心したり、心底から揺り動かされたりしている。


「日日雑記」が、生前最後の本なのだ。

本当は年代順に読めば良かった。

これを読み終わったら、

再び、「あの頃」読み直そうと思う。

これは、娘の花が編纂した、

”かたちにならぬまま遺された100余りのエッセイ”
 (本の帯から)
なので、初読の時とは違う感じを受けると思う。


この週末(28日)から2週間、アリゾナの娘のところへ行く。

孫は、大きくなっているようだ。

ばあ〜ちゃんをやってくる。


夫トッコイの墓地から見える、タコマ富士に雲のスカートが。
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by orientexp | 2017-10-25 13:30 | | Comments(0)

地図が好き

「富士日記」上、を読み始めた。

作家の武田泰淳が富士山に山荘を建て、そこでの出来事を、

妻の武田百合子と娘の花とで綴った日記。

泰淳が「不二 小大居百花庵日記」と称して書いたものを、

百合子が新たに書き写し加筆したもの。

山小屋での日々の出来事を書いているのだが、

朝昼晩の食事の内容、土地の人たちとの付き合い。

山小屋は温度が低いせいか、おでんというのが度々出てくる。

時には、東京からの友人知人が訪れた様子など、面白い。


昭和40年10月9日まで読み終わる。

ちょうど52年前のことだ。

私は東京に出てきて3年ほどたち、 ひとり暮らしを楽しんでいた。

その時の自分の行動を思い起こしながら読んでいる。


食べたもの、買ったものの値段など、けっこう細かく書いてある。

私は、給料前になると10円のコッペパンと10円のコロッケで昼をすませていた。


彼女の描写が面白い。例えば、

 夜はまったく晴れて、星がぽたぽた垂れてきそうだ。

泰淳と白糸の滝でのこと。茶店で色々と買い物をしていて、

 主人が鱒の木彫も買おうとする。大反対して買わなくした。
 それは虹鱒と大きさも形も全部そっくりで、ただ、木で出来ているだけなので
 何となく馬鹿らしいのだ。虹鱒を買った方がいいのだ。


武田泰淳の欲しいけれど、妻に反対されて情けなそうな顔を想像する。

女は現実的なのだ。昔の私なら買っていたと思うが、今は断捨離だからね。


表題の地図が出てこないと思っているでしょう、では・・・


百合子が、東京から山小屋への道順を、毎回書いてあるのだ。

地図好きとしては、本を閉じて日本地図を引っ張り出してくる。

山梨県のページを開き、彼女が通った道路、地名を探す。

山中湖、西湖、本栖湖、河口湖、精進湖と五大湖はすぐ見つかる。

地名はなかなか見つからない。でも見つけた時は、(やったぁ!)

その中に、鎌倉往還を通ってと度々出てくる。

これがどこか分からない。ネットで調べてみると鎌倉街道のことだそうだ。

そこから、鎌倉街道はどこか?へと繋がっていく。

上、中、下、山、東、西と6つに分かれている。

いざ鎌倉というあれである。鎌倉へ向かう道として整備されたそうだ。


しばらく地図を見ていると、すぐそばに東海道が出ている。

(ここは、歩いたもんねぇ)

思いは、53次へ飛んでいく。


日本橋から宿場をひとつひとつ辿り始める。

53次を調べていた時につけた、地図上の赤いペンの印がある。

三島宿まで辿って地図上で目を上に移すと、

御殿場、富士吉田市が出てくる。

(おっと、現実に戻らねば)

もう一度、日記上の場所を確認して、

分厚い文庫本を開き、続きの日記を読み始める。


こんなわけで・・・

地図をそばに置きながら読むからなかなか進まない。

これはこれで楽しいのである。

 

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by orientexp | 2017-10-14 14:00 | | Comments(2)
ご無沙汰いたしておりました。

ハイ、生きておりました。

ちょっと旅、と 言っても、本の中でのことですがネ。


年に1度か2度ほど、池波正太郎著、「鬼平犯科帳」を読む、

というのが恒例というか癖というか、やっておりまして。

その時期になりますと、24巻の文庫を読み続けます。

今回で3度目になりますが、内容は分かっているのですが、

これが、毎回新しく感じるわけでして、

思うに、文体が心地よく体内に入ってくるのからでしょう。


今年、東海道を歩きましたので、文中に出てくる宿場、

神社仏閣が出てきますと、地図や自分が辿った宿場表を取り出して、

なるほど、などと実感しながら読むので、なかなか前に進まないわけです。

それにしても、昔のひとは健脚でありました。

あの、東海道を草鞋を履いて歩いたのですから。

移動手段は、足がほとんどだった時代であります。


さて、日々の決められていることをこなした後は、

江戸時代にワープするわけであります。


火付盗賊改方の長官、長谷川平蔵が江戸、

または街道すじに跋扈する盗賊を取り押さえる、

まあ、言ってしまえば捕物帳なのですが、これが、面白い!

与力や同心そして密偵を使い、最後は目出度しめでたしで、

一件落着なのですが、何回読んでも飽きないのであります。


と言うわけで、ここのところネットとは、

とんとご無沙汰でありまして、ブログも開店休業のありさまでした。

24冊の文庫本と江戸古地図他を、棚に戻しまして、

江戸から、もっと物騒な現代に戻ってきた次第であります。


季節は、夏から秋に移り、昨日から温度も下がり、凌ぎやすくなりました。

再び現代の暮らしに戻ることになります。

が、江戸時代からも離れがたく、言葉つきも未だ戻らない次第であります。


と、いう次第で、ブログ不更新の言い訳でありました。

お粗末さまでした。


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by orientexp | 2017-09-18 12:40 | | Comments(8)

取り急ぎ

私が毎日訪れる先輩ブログで知った。短歌作家のことを書きます。

名前は鳥居、年齢不詳、セーラー服姿などで世間で騒がれています。

出版された「キリンの子」

サイトで何篇かを読みましたが、

紡ぎ出された言葉から、壮絶な印象を受けました。

表現の新しさ、その感性が鋭く、読む人の心に突き刺さってきます。

鳥居さん
ブログを開設しています。


私は、俳句をやっているのですが、頑張ろうと思いました。

遅すぎるかな?



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by orientexp | 2017-02-06 12:01 | | Comments(4)
同じ著者の、
「老いの才覚」というのも読んだが、ほとんど覚えていない。

これは、読みやすいように感じ最後までしっかり読めた。

やはり、「死」ということに意識がいく年齢になったということかな?


その章の中から:
    ( 私のつぶやきは、本文の内容とは関係ありません )

 * 「まだ当分生きる」は、無限に生きると思っていることと同じ
     私のつぶやき: 
            若い時はこう思っていたこともありました。

 * 音信の絶えた奥さん
           :「あの奥さん、最近見かけないわね」
            「聞いた話だけれど、亡くなったらしいわよ」
                     こんな感じで、消えていきたい。

 * 老いても、料理することの重要さ
           : ひとり分の料理でも、けっこう楽しんでいる。

 * 遺品の始末をしやすいように、ものは捨てる
           : 心がけている。

 * 食べなくなった時が生命の尽き時
           : よく聞く、胃瘻などはお断り。

 * 私には死ぬという任務がある
    ー 誰かが犠牲になって死ななければ、その種は生きられない、という宿命は、
       自然界ではのっぴきならないこととして承認されている ーと著者は語る。
       また、聖書の「一粒の麦」を引用して、
      一 粒の麦がそのままだったら、何も生えてこない。
        しかし一粒の麦が死ぬからこそ、そこから新しい命が芽生える。
        それは一粒の麦にとって無為な死に方ではなく、生きるための死である ー 
      ー 私たちの生涯もそれに似ている。人間の運命は、自分が死ぬからこそ、
        誰かが生きられる、というわけではない。
        しかし最近、私は時々、私は死ななければならない、
        私には、死ぬという任務がある、と思うようになった。ー (抜粋)

  
 私には、任務などとは感じることはできない。今を生きそして、もしかしたら、明日も。

 予定は立てるが、あくまでも予定である。 これが、今の私の限度である。


 金銭的に余裕のあるひと無いひとなど、生きてきた人生がみんな違うから、

 著者が書く、全てが受け入れ実行することできない。

 が、その中で、自分も同じ考え、また実行できるかな?ということを書いてみた。

 でも、ほんと、これは理想でありこうありたいという願望でもある。

 実際、その時になって、思っていたこと、考えていたことが、どれくらい出来るのか、分からない。

 まずは、精神を正常に保っていることが、先決と思い願っている。 


 



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by orientexp | 2017-01-18 21:30 | | Comments(4)
独り住いというのは会話が成立しないということだ。

キョウイク(今日行くところ)がある日は、外出先で会話をが望める。


世間では、会話がないということは、脳への刺激が少なく、

認知症への道は進むとか。これが一番の心配事である。

と、言っても、テレビへの突っ込み、バライティー番組で、

大口開けての笑いくらいでは、すまされないだろう。

自分への突っ込み、独り言も、言ってる本人が気がつくと、

背筋が寒くなるほどである。


タイトルの「声に出して読みたい日本語」は、斎藤 孝著である。

この本のことは知っていたのだが、その時は、みじかに迫った緊迫感がなく、

頭の隅にインプットしただけに過ぎない。

今回の日本滞在で、本屋に積まれてあった、(3)を見つけ、

これだ!と迷いなく手に取る。文庫好きの自分としては、お手頃でもある。


さて、開いてみると、

1 腹から声を出す、 2 人生のおかしみを味わう、 3 芯が通る・腰肚を据える、

4 リズム・テンポに乗る、 5 しみじみ味わう、 6 あこがれに浮き立つ、

7 身体に覚えこませる・座右の銘、8 季節・情景を肌で感じる、

9 物語の世界に浸る

9項目の見出しがあり、それぞれに、歌舞伎から謡曲、漢詩、俳句などなど

多岐にわたる言葉が網羅されている。


よし!どうせ独り言をいうのなら、この本を、声に出して読めば良い。


最初の言葉は、歌舞伎からの「楼門五三桐」(南禅寺山門の場)である。

”さんもんごさんのきり” 楼門を”さんもん”と読むことを初めて知る。

小学生が読めるように、ふりがながついているのが私向きでよろしい。

これは、例の、五右衛門が云うセリフ、

「絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金とは、小せえ、小せえ ・・」である。

このくだりと最後しか知らなかった。  気持ちを込めて、声を張り上げる。

最後のセリフ、久吉の「世に盗人の種はつきまじ」まで読む。

読んだ後の気分は、爽快感。 う〜ん、これは嵌りそうだ、と実感。


「野なかの薔薇」は、一番しか覚えていない。

「鉄道唱歌」(東海道篇)は、なんと、66番まである。(他の説もあり)

このほか、山陽・九州篇、奥州・盤城篇、北陸篇、関西・参宮・南海篇まであるのだと言うから、

驚き、おどろき、”びっくりポン” である。


まあ、しばらくは、独り言の必要は無いのでは?と自問するが、

「それは、無理でしょう」と、自答してる自分がいる。


これからは、1日1度はこの本を開くことを自分に課す。

これで、キョウヨウ(今日用)が、あるは心配無い、で、あろう。


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by orientexp | 2015-10-19 22:02 | | Comments(2)

「いきなり文庫」

村上春樹の「1Q84」が発売されたのは3年前の、2009年5月。

彼の作品が大好きな私は、すぐにでも読みたかったけれど、

単行本は高く、ましてや円高で、こちらの店頭では、

確か30ドル以上しているはず。無理、無理。

ところが、去年、同人誌「平成」の集いの古本市で、

古本とまでは言えないこの本が、

申し訳ないほどの安さだったので、即購入。

でも、1、2巻しか無く、3巻は手に入れてはいない。

シアトルの紀伊国屋には、店頭に3巻が、これ見よがしに積んである。

普通、文庫になるのは、3年以上過ぎてかららしい。

もう、そろそろだからと、その時を待っているのだが。


ところが、「いきなり文庫」といって、

普通、単行本が出てその後文庫が出る。

それを、単行本をスキップしていきなり文庫を出すことを言うらしい。

私みたいなものには、大感激だが、色々と不都合なこともあるようだ。

印税の収入が少なくなるようで、

作家さんたちには、身入りが少なくなる。

あちら建てればこちら建てずで、うまくいかないものだ。

まだまだポピュラーにはならないと思うが、

早くその日が来ることを待っている私です。


ところで、実は、古本市で手に入れた、「1Q84」は、

未だに読んでいない。手に入れた安心からか、

いつものように、積んどくせいか、日々横目で見ながら、

別な本を買い、そちらを読んでいる始末である。

しかし、言い訳を許してもらえるなら、

この分厚い3冊の本を読み始めると、

ちょっとやそっとでは終わらない。

覚悟がいるのであります。また、

3巻目が文庫で出る前に読み終わったら、どうしよう・・・

などと、言い訳ばかり考えているのであります。

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先日、驚きというか、予想していたというか、

やはり、雪が降りました。

これを最後にして欲しいです。

明日は、ストーブの掃除をする予定なので。



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by orientexp | 2012-03-14 20:25 | | Comments(10)
昨日は、麗らかな昼とうってかわり、

夕方には雷が轟き、その後から雨が降り出した。

それでも今朝の温度は確実に春がきていることを感じさせるものだった。

しとしと降る雨を見ながら、今日は読書の日と決め込み、積んであった雑誌と

本を小脇に抱えて活字の世界に入り込んだ。


まずは、あと少しで終わりの文庫本、

「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子著 を読み切る。


テレビ番組に彼女のことが取り上げられ興味があり、文庫本を3冊入手。

イタリアで暮らしたころの話で、コルシア書店に集まる仲間たちの物語。

たんたんと書かれている文章は、少し湿気をおびた朝の風景の温度であり、

また、カラッとした昼下がりの風のようでもあり、時々取り込まれる軽い皮肉に

著者の感性が見え隠れする。読んでいて、穏やかに行間を進むことができた。

初めての作家だが、残りの2冊も読むのが楽しみになった。


著者は最後の章の最後で書いている。

人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、

すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。

若い日に思い描いていたコルシア デイ セルヴィ書店を徐々に失うことによって、

私たちは少しずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを

知ったように思う。



この本の解説に、松山 巌という評論家が書いている文章から、

記憶は過去のものではない。わたしたちは生きて行くなかで記憶を育み、

記憶と共に生きる。人はたとえ死んだとしても、友情の網目のなかで生き続ける。

そして私たちは大切な人々の記憶のなかで自分自身を発見するのである。


著者は、昔の仲間たちのことを書きながら、自分の30年前を再生しながら

言葉を紡ぎだし仲間たちを感じでいたのだと思う。


評論家はこんなことも書いている。

人は文章の修辞を学ぶことで、言葉を紡ぎ出せるのではない。

どうしても語らなければならぬという思いが言葉を練り上げる。

そうしてはじめて人は文章家となる。


語りたいことがあるのに文章にできない私の裡に突き刺さった言葉である。
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by orientexp | 2011-05-15 14:41 | | Comments(6)

98歳の初詩集

 からっと晴れわたった青空、思い思いに寝ころんでいる雲。

最高気温85度。でも、湿度が無いので爽やな日々が続いていました。

しかし、今日は肌寒く60度も無い。空は一面灰色。

天気に気持ちが左右される単純人間のわたしは、天気の具合で一喜一憂することおびただしい。


 柴田トヨさん、98歳の初詩集『くじけないで』が評判を呼んでいるらしい。

宇都宮市に住む柴田さんは、92歳の時に、息子さんに薦められ詩を作るようになったそうです。

薦めた息子さんもですが、それを素直に聞いて詩を作り始めた柴田さんは素晴しい思います。

詩集の表題『くじけないで』は、収録されている詩の一篇です。

これを本人が読んでいる動画です。(少し宣伝が見えみえなのですが・・・)

この詩の最後の4行、

 私 辛いことが / あったけれど / 生きていてよかった / あなたもくじけずに

1911年生まれ、100年近く生きてきての辛いこととは、

私には計り知れない深さではあるけれど、

生きていてよかった という言葉で、辛いことは浄化されているのではないかと思います。 

やさしさを貰ったら・・・
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by orientexp | 2010-07-17 03:52 | | Comments(18)

日々のできこと


by sakura