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カテゴリ:つぶやき( 4 )

『生きる』ということ

NHKで「この声をきみに」というドラマが始まった。

私的には、長いこと応援している俳優さんが出るので、楽しみにしていた。

朗読教室「 灯火親」で起きる、人間模様。

第一話で、谷川俊太郎の「生きる」という詩を、数人で読まれた。

初めて知るのだが、これは群読といい、文章や詩を数人で、

美しく音声表現することらしい。


ドラマには直接関係ないことだが、

ずいぶん前に友人からこの詩集をいただき、時々開いては読んでいた。

mixiの谷川俊太郎コミュニティができ、そこから『生きる』という詩の連作が始まった。

それらの詩が、作者の説明などを含めて集められた詩集が『生きる』。

今でもその連作は続いているのではないかな?


それぞれの『生きる』は千差万別で、一行で表現しているひと、

また、たくさんの言葉で表現しているひと。

可愛らしいもの、楽しくなるも、泣いてしまうもの。

その言葉で、世界観が変わってしまうもの。

それは何回読んでも、初めて遭遇した思いを抱かせる、言葉の集まり。

そして、少しだけ、自分に元気がでてきて、

またガンバロウと思わせてくれる。


月に一度ボランティアで高齢者の集合施設への訪問。

対面朗読をしている。

昨日は、この『生きる』から、谷川俊太郎の「コトバの波紋」を読んだ。

みなさん、納得したように頷いていた。

詩は、心の中にすんなりと入っていく。


コトバを媒介してひととの繋がりが起きる。

話すコトバ、書くコトバ、聞くコトバ、歌うコトバなどなど。

日々の暮らしの中で、コトバと切っても切れない生活をしている。

ひとり暮らしだって、頭の中でコトバを探して、自分に問いかけている。



ドラマで、中年男性を中心に、どんな人間模様が繰り広がられるのか、

どんな群読が聞かれるのか、興味津々。

金曜日が待ち遠しい。








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by orientexp | 2017-09-25 12:50 | つぶやき | Comments(6)

人間模様

9月もあと1週間になった。

なんでこんなに時間が過ぎていくのが早いのか。

なんのこと無い日常の出来事をこなしているだけなのに。


先日朗読のボランテアに行ったときのこと。

バスでシアトルまで行くのだが、途中のバス停から乗った親子に目が止まった。

乳母車をを押した男性がバス停の列に並んでいるのが、バスの中から見えた。

側を見ると、4歳くらいの男の子が、ちょろちょろと動き回っている。

乳母車の中には、もうひとり子供が乗っているようだ。

男性は、リュックを背負い疲れた顔で、順番をまっている。

順番が来ると、バスの運転手に、乳母車をバスの下の収納場所に入れてくれるよう頼んでいる。

運転手はバスを降り、降り畳んだ乳母車を収納場所に入れ、運転席に戻る。

運転手が戻ると、親子は料金を払い席に着く。

親子の後に並んでいた人たちは、この一部始終が終わるまで、待っている。

何も文句を言わずにだ。私は、すごいな〜と思った。

バスの中に居る乗客も外で待つ乗客も何も言わない。

嫌な顔もしない。

こんな時、こちらの人たちの忍耐強さには感心する。

私は、その親子を見ながら考えていた。いや、想像していた。

母親はどこにいるのだ?

どう見ても、ふたりの子供は、母親の手が必要な年齢なのだ。

そこで、思った。

これは、奥さんに逃げられたに違い無いと。

そう思うと、急にこの男が気の毒に思えてきて、子供たちがかわいそうになった。

バスの中では、父親はよく子供の面倒を見ていた。

それは、母親みたいに面倒を見るのだった。

ここで、私はまた考えた。

きっと、この生活は長いこと続いているのだ、と。

そう思うと、男のかまわない服装の姿を哀れに感じた。

子供たち、(下の子は、2歳にはなっていないようだ)は、

父の哀れさが伝わるのか、子供らしくなくおとなしい。

バスに乗っている間中、私はこの親子の、過ごしてきた時間、

そして、これから出会う時間を考えていた。


バスの中では、いつも人間模様を見ることができる。

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by orientexp | 2011-09-23 19:30 | つぶやき | Comments(6)

ある昼下がりの、戯言

今、ちょっと緒形拳に凝っていて、彼の文章、書などを集めた本を読んでいます。

色々な文章の中で、自分もなんとなく分かるな、

また、そう思いたいなという文と出会いました。


書について書いた短い文章なんですが、

気魄だったり、こだわりだったり、墨との闘いだったりするわけですけれど、

貫きたいのは、卑しくなりたくないってことなんです。

言葉にするのは難しいんですけど。


ん〜、なんとなく分かるなという思いが自分の中にあるわけです。

自分にとって、これはあくまでも理想で、卑しくなりたくないな、

というのはもっとも難しいわけです。


彼は2008年10月に亡くなりましたが、癌ということを周りの人に告げず、

自分の出る場面を終わり、ドラマが終わらないうちに亡くなりました。


話はまったく変わりますが、

女性の顔が男性のそれに似ているということはありますよね。

それは、その女性がきれいとか醜いとかいう次元では無く、

顔全体から醸し出す雰囲気とかじゃないかと思うのですけれど。

昔親しくしていた女性の顔が、緒形拳に似ているのですよね。

だから、緒形拳をテレビ、映画、雑誌などで見た時、

一瞬にしてその彼女を思い出すわけです。

そうすると、一度も会ったことの無い緒形拳が身近に感じてくるわけです。

だから、彼が好きになったというわけでは無いのですが。


それから、

僕は一生、読めない字は書かないと決めています。

これって、当たり前でしょうと思うけれど、

分かったふりをしないということではないかと、

まあ、自分流にですが、解釈しています。

ちょっと知ったら、人に話したくなる自分にとっては、

足を止めて考えろ、と、言われたような気がするわけです。


まだまだ、気になる言葉がるのですが、それはまたいつか・・・


空には、適当に雲があり、気温は暑からず寒からず、風はカーテンを少し揺らす。

そんな趣の昼下がりです。
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by orientexp | 2011-06-12 12:35 | つぶやき | Comments(6)

シャガールの絵のように

今日、歩いていたら舗道の並木が黄色く色づいていて、びっくりするほど驚きました。

秋になると木立は色づくのは当たり前の話で、それを驚くとは、驚きです。

日々の雑用に追われ回りの景色に気がつかず、いや、見ているのですが、その風景が

心の中に入ってこないほど自分の感性が衰えていたということでしょう。

ほんとうに、今年の夏は予定していたことが少しもはかどらず情けない思いです。

いえ、忙しくはないのです。

これはまったく自分らしくないと自問自答しているのですが、さて、自分らしいとはいったい

どんな自分なのかと、考えてみてもはっきりと答えが出てこない。

自己喪失とは大げさですが、そんな不安な気持ちでもあるのです。

「一体全体、以前のお前さんとどこへいったのだい」と自分に問いかけると、

額に手を当てて考え込んでいる自分が見えるのであります。

それでも日々の雑用はこなしているので、まだ頭のほうは大丈夫のようですが、

豆腐のように不安定で、こんにゃくのようにふにゃふにゃしていて、とらえどころがありません。

芯がなくなったようで、と言えば聞こえがいいのですが、元々あるわけの無い芯を探しても

無駄なことと開き直って、いいかげん、適当に、時の流れに身をまかせましょう・・・・。


シャガールの絵のように

家々の上を
横になって浮遊できたら
どんなに気持ちがいいでしょう

そう、わたしは今 空で 横になりたいのです



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by orientexp | 2010-09-22 14:19 | つぶやき

日々のできこと


by sakura