2010年 09月 22日
シャガールの絵のように
今日、歩いていたら舗道の並木が黄色く色づいていて、びっくりするほど驚きました。
秋になると木立は色づくのは当たり前の話で、それを驚くとは、驚きです。
日々の雑用に追われ回りの景色に気がつかず、いや、見ているのですが、その風景が
心の中に入ってこないほど自分の感性が衰えていたということでしょう。
ほんとうに、今年の夏は予定していたことが少しもはかどらず情けない思いです。
いえ、忙しくはないのです。
これはまったく自分らしくないと自問自答しているのですが、さて、自分らしいとはいったい
どんな自分なのかと、考えてみてもはっきりと答えが出てこない。
自己喪失とは大げさですが、そんな不安な気持ちでもあるのです。
「一体全体、以前のお前さんとどこへいったのだい」と自分に問いかけると、
額に手を当てて考え込んでいる自分が見えるのであります。
それでも日々の雑用はこなしているので、まだ頭のほうは大丈夫のようですが、
豆腐のように不安定で、こんにゃくのようにふにゃふにゃしていて、とらえどころがありません。
芯がなくなったようで、と言えば聞こえがいいのですが、元々あるわけの無い芯を探しても
無駄なことと開き直って、いいかげん、適当に、時の流れに身をまかせましょう・・・・。
シャガールの絵のように
家々の上を
横になって浮遊できたら
どんなに気持ちがいいでしょう
そう、わたしは今 空で 横になりたいのです
秋になると木立は色づくのは当たり前の話で、それを驚くとは、驚きです。
日々の雑用に追われ回りの景色に気がつかず、いや、見ているのですが、その風景が
心の中に入ってこないほど自分の感性が衰えていたということでしょう。
ほんとうに、今年の夏は予定していたことが少しもはかどらず情けない思いです。
いえ、忙しくはないのです。
これはまったく自分らしくないと自問自答しているのですが、さて、自分らしいとはいったい
どんな自分なのかと、考えてみてもはっきりと答えが出てこない。
自己喪失とは大げさですが、そんな不安な気持ちでもあるのです。
「一体全体、以前のお前さんとどこへいったのだい」と自分に問いかけると、
額に手を当てて考え込んでいる自分が見えるのであります。
それでも日々の雑用はこなしているので、まだ頭のほうは大丈夫のようですが、
豆腐のように不安定で、こんにゃくのようにふにゃふにゃしていて、とらえどころがありません。
芯がなくなったようで、と言えば聞こえがいいのですが、元々あるわけの無い芯を探しても
無駄なことと開き直って、いいかげん、適当に、時の流れに身をまかせましょう・・・・。
シャガールの絵のように
家々の上を
横になって浮遊できたら
どんなに気持ちがいいでしょう
そう、わたしは今 空で 横になりたいのです
by orientexp
| 2010-09-22 14:19
| つぶやき