East meets West

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ご無沙汰いたしておりました。

ハイ、生きておりました。

ちょっと旅、と 言っても、本の中でのことですがネ。


年に1度か2度ほど、池波正太郎著、「鬼平犯科帳」を読む、

というのが恒例というか癖というか、やっておりまして。

その時期になりますと、24巻の文庫を読み続けます。

今回で3度目になりますが、内容は分かっているのですが、

これが、毎回新しく感じるわけでして、

思うに、文体が心地よく体内に入ってくるのからでしょう。


今年、東海道を歩きましたので、文中に出てくる宿場、

神社仏閣が出てきますと、地図や自分が辿った宿場表を取り出して、

なるほど、などと実感しながら読むので、なかなか前に進まないわけです。

それにしても、昔のひとは健脚でありました。

あの、東海道を草鞋を履いて歩いたのですから。

移動手段は、足がほとんどだった時代であります。


さて、日々の決められていることをこなした後は、

江戸時代にワープするわけであります。


火付盗賊改方の長官、長谷川平蔵が江戸、

または街道すじに跋扈する盗賊を取り押さえる、

まあ、言ってしまえば捕物帳なのですが、これが、面白い!

与力や同心そして密偵を使い、最後は目出度しめでたしで、

一件落着なのですが、何回読んでも飽きないのであります。


と言うわけで、ここのところネットとは、

とんとご無沙汰でありまして、ブログも開店休業のありさまでした。

24冊の文庫本と江戸古地図他を、棚に戻しまして、

江戸から、もっと物騒な現代に戻ってきた次第であります。


季節は、夏から秋に移り、昨日から温度も下がり、凌ぎやすくなりました。

再び現代の暮らしに戻ることになります。

が、江戸時代からも離れがたく、言葉つきも未だ戻らない次第であります。


と、いう次第で、ブログ不更新の言い訳でありました。

お粗末さまでした。


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# by orientexp | 2017-09-18 12:40 | | Comments(2)

励みとは

今日は真夏に戻ったような気候だ。

ブラインドを下ろし部屋の温度が上がらないようにして、家にこもる。

やらなくてはならないことは山ほどあるが、そっち(どっち?)へ置いておいておく。

しかしこれだけはやらなければ先に進めない。


歯の治療と日本行きで、ボランティアの朗読をしばらく休んでいたが再開した。

今回は、日本のブログ友からたくさんの読み物をもらってきたので、それを読んだ。

犬の話、食べ物の話などだが、家で練習している時には涙が出てきて困った。

気をつけて読んだので、なんとか大丈夫だった。

でも、聞いている人たちは、鼻をぐすぐすしていたので、

引きつられると困るので、見ないようにして読んだ。

ほとんど泣き笑いで終始した。


年齢が近いかそれ以上の方達を対象にしているので、

昔の話、動物の話、食べ物の話などが喜ばれる。

読み終わり、みなさんの楽しかった面白かったと言う言葉を聞くのがいちばん嬉しい。

ボランティアなどと上段から構えているが、

本当のところ、

皆さんの笑顔に励まされている自分である。

喜ぶ姿を想像しながら、読むものを選ぶ時は楽しい。

それは、私が生きていく上での、日々の励みになっている。


と、会員へ朗読の報告をメールで送り、

やっておかなければならないことをすませ、ホッとしている。


それにしても、暑い! 

どうにかならないか!!





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# by orientexp | 2017-08-28 16:00 | ぼいすらいぶらりー | Comments(4)

次回は99年後

8月21日は、ちょっとした人類移動の様相だった。

アメリカを横切った皆既日食を見ようと人々が移動したのだ。


皆既日食は、オレゴン州からサウスカロライナ州へ斜めに横切った。

私が住むところは、オレゴン州の北にあるワシントン州オリンピア。

歩きのグループからは、みんな集まって皆既日食を見ましょうとメールが回ってきた。

私はあまり興味がなく集まりには参加しなかった。


また、フリーウエイを走っていると、混んできたので事故かな?と走らせていると、

皆既日食の日にちが近くなると車の移動が多いので気をつけるようにとのサイン。

テレビ、新聞などでは前触れで人々が興奮していたようだ。

実際近くにしたがってフリーウエイの車の列が多くなってきた。

ここからは、約3時間ほどで現地に行けるらしい。


当日は朝からアメリカ中が大騒ぎ、テレビでは特別番組で中継。

なんだか私までその波に乗りソワソワする。

しかし専用のメガネも無いし、テレビで見ることにする。

時間が迫ってくると、外はだんだん暗くなり温度が下がり始めた。

真っ暗にはならなかったが、薄暗く気温も下がった。

すごい、3時間ほどの距離でも影響があるのだと感心する。

ほんの数分ほどだったが、外とテレビ画面を交互に見ながら感動した。


次回、アメリカで今回のアングルで見られるのは、99年後だそうだ。

この世に存在していないことは確かだ。

日本で見られるのは、2035年だそうだ。これも無理だ。


22日になっても南からの車の移動が多く沈滞しているのを、

歩いている途中、橋の上から眺めた。


あの方も、奥様、息子さんと専用のメガネをかけて、

ホワイトハウスで眺めている様子がテレビに出ていた。



我が家の居間からの映像(メガネもいらないし、ガソリン代もかからないし、悪く無いと思うんだけれど。)
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# by orientexp | 2017-08-23 14:10 | 井戸端会話 | Comments(2)
忍者が両手を組み合わせ、人差し指を突き出して、ドロンと言って姿を消す。

ずいぶん昔にありましたよね、忍者物の映画などで。

(こんなこと思うの私だけかなぁ)

(あんな風に消えて見えなくなるなら、どんなに良いかと思ったことがある)


でも、今日のドロンは、見えなくなるのでは無く、より良く見えるのです。

そう、あの、ドロンです。何処へでも飛んで行き映像を見せる。

時々は迷惑することもありますが。

そのドロンが、北アルプスを大縦走したのであります。


またまたNHKの番組でありますが、ブログネタがない時は便利であります。


3000メートル級の山々が連なる北アルプス。

まず、穂高岳が映されます。それはもう縦横無尽に飛び回るのです。

こちらは、鳥になったような気分で、右左からの景色を総なめすることができるのです。


話はそれますが、昔、空を飛んでみたいと思ったことが何度かありました。

夢では何度も飛んでいたのですが、やはり現実に飛びたいです。

それで、気球に乗ったのですが、思っていたよりゆっくりで、縦横無尽とはいきませんでした。


それを、ドロンはいかにもやすやすとやっているのであります。ムムム・・・

おまけに、前人未踏の三俣蓮華岳の険しく切り立った谷の中まで入っていきます。

崖肌すれすれまで近寄ります。ああ、触らなければ良いのにというドキドキ感です。


また、話はそれますが、深田久弥著の「日本百名山」を一年ほど前に読みました。

ので、ちょっと出してきて開いてみました。

深田久弥著では、三ツ俣蓮華岳は、始め鷲羽岳と呼ばれていた。

そして、百名山の地図には、鷲羽岳と記されている。

深田久弥がこちらの名前が適当かもしれない、と本文に書いてある。


テレビの画面では、ドロンがこの三ツ俣蓮華岳の奥深く降りていく。

そこが、黒部源流地帯だ。


すみません、またまた百名山からの、パクリであります。

  源流は一跨ぎ出来るささやかな流れである。その水がやがて切り立った絶壁の間を、
  潭となり渕なり滝となって、猛々しく流れて行くのである。
  激しい青壮年時代を運命づけられた人のまだ幼な顔が、黒部のみなかみに見出される 

 
名文ですね。

さて、ドロンはその源流から飛び出して、名峰槍ヶ岳に近づきます。

ここで、ちょっと不満だったのですが、あの槍の切っ先の尖ったのを見たかったのですが、

それがなかなか映されません。あまりに近いかしら?遠くから見ると槍の切っ先に見えるのですが。

そしてドロンは、そこから北アルプスの山々を写していきます。

ドロン、お前はすごい!!と褒めてやりたいくらいの、絶景でありました。


このドロンの活躍を撮すのに、人間のドロン、いやカメラマンが

大変な思いで(と思う)危険なところから撮影(私からは見えませんが)しているのでありました。

ドロンが活躍すると、山岳カメラマンの仕事が減るのではと心配していましたが、

それは、大丈夫でしょう、ネッ。





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# by orientexp | 2017-08-20 12:00 | 井戸端会話 | Comments(2)

NHKスペシャル

今週のテレビ番組は終戦に関した内容が多かった。

多分日本では以前に放映されたものもあると思うが。

ざっとあげてみると、

* 証言ドキュメント「忘れられた戦場〜樺太・40万人の悲劇〜」

* 74年目の郵便配達〜軍事郵便を届けて〜

* 明日世界が終わろうとしても
   カナダに住む原爆被災者日本人女性の、核なき世界への活動

* スペシャルドラマ「返還交渉人〜いつか、沖縄を取り戻す〜」
    沖縄返還に関わった外交官

などでまだ他にもあったが思い出せない。

証言ドキュメントの、「忘れられた戦場〜樺太・40万人の悲劇〜」では、

終戦は、8月15日なのに、その後7日間も戦闘が続き、多くの人命を失った。

樺太生まれの自分なのだが、まったく覚えていない。

母に背おられ逃げたという話が聞いたことがある。

覚えていないのは当たり前だが、その時の様子が画面に写り、

人々が逃げ惑う姿を見ながら、あんな状態の時に自分はあそこにいたのだ、

という実感というか不思議な思いでテレビを見ていた。


74年目の郵便配達〜軍事郵便を届けて〜では、

戦場にいる家族との連絡は郵便だけだった。

その手紙を、アメリカ軍は、ほとんど全て検閲した。

それらが今、ネットで取引されているのだという。


歳の離れた兄からの手紙が74年たって妹の手に渡る。

言語障害のある妹を父の反対を押し切り、専門学校へ入れた兄。

妹は、兄のおかげで社会に出て結婚出産し、幸せな生活ができた。

涙を流しながら、手話で息子に説明していた。


また、この番組か樺太の番組だったか、忘れたが、

軍隊の位で中将かその下か、そのひとは克明に当時の状況を書き続けていた。

そのひとが最後に画面に出てきた。

終戦になったその後、まだ交通が途絶えてない時に、

上層部の責任者が、本人家族共々早々と戦地を離れ帰国した。

自分たちは詳しい事情も分からず取り残された。

その後、中将の彼は抑留され2年か3年後に帰国するのだ。

彼が番組の最後に、泣きながら言った言葉。

最後まで言えなかった言葉を、感じ取れば、

「彼の命令ひとつで下級の兵隊が行動しなければならない。
  その現地の最高責任者が、後の始末もせず早々と居なくなる・・・情けないです」

絞り出すように言い、涙を拭いていた。

上層部(戦闘を命令した)では、本部と現地で責任をなすり合う。

下級役人や兵隊たちは、ひとつの駒として扱われていた状況が伝わってきた。


ちょっと、重い話になったが、ここ数日テレビの前で、

涙を流しながら感じたこと、吐き出してしまわないと、

どうしても遣り切れなかった。






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# by orientexp | 2017-08-17 12:10 | 井戸端会話 | Comments(2)

日々のできこと


by sakura